2023年4月23日Information Pregnancy loss

「飲む中絶薬」流産での2回の使用経験

ようやく日本でも、経口中絶薬(ミフェプリストンとミソプロストール)が承認されましたね。

私は38歳の時、アメリカで2回稽留流産を経験し

2回とも、この2剤を服用しました。


「中絶薬、中絶薬」と騒がれていますが

初期の流産にも使うお薬です。


この記事では、私の使用経験を書いていきます。


※日本で承認された「メフィーゴパック」と細かい使用は異なっています。必ず主治医の指示に従って内服ください。



医師であり、産婦人科も回ったけれど知らなかった治療法

私は妊娠8週で、心拍が確認できぬまま、稽留流産であると診断されました。

主治医は、手術と薬物療法と待機のメリットデメリットをそれぞれ説明した後

「薬物療法を特に勧める」と言いました。


でもその薬物療法、知らない...

産婦人科にも興味があって、初期研修医のとき2ヶ月回ったし

でもそんなのあったのかな?


帰って調べると

日本では承認されていない薬ですが

海外では一般的だというのです。


グローバルスタンダードな治療にも関わらず

日本では承認されていないなんて


色々読めば読むほど、日本の体制への違和感が強くなりました。



悩んだ末、薬物療法を選択

手術はしたくなかったし

お薬を飲むか、それとも自然に出てくるまで待つか。

少し待ちたい気はありましたが

その当時、娘は1歳になる手前で

コロナ禍でしたし


ひょっと大出血して、救急車に乗ることにでもなって

そのとき旦那さんがいなかったらどうしたらいいのか?


悩んだ末、週末旦那さんが家にいてくれる時にお薬を飲むことを決め

主治医に連絡しました。



ミフェプリストンは厳重な管理

普通の薬は、処方箋を書いてもらったあと、薬局でもらいますが

ミフェプリストンは先生からの手渡し。

もらう前に、「この薬を飲んだら妊娠が終わりますが、同意しますか?」

という旨の同意書にサインしました。



流産の場合はもうそれで赤ちゃんの命がどうのこうの、というものではないですが

人工妊娠中絶の場合だと、重要な決断になります。

そのことを感じさせられる管理となっていました。



ミフェプリストンを内服しても、特に副作用はないし、何も感じない。

24時間後に、ミソプロストールを内服しました。



溶けないミソプロストールに焦る

病院で、主治医と薬剤師さんに説明を受けましたが

4錠を両方の歯茎とほっぺの間に2個ずつ置く、という珍しい服用方法。



置くのは、けっこう難しくて

深刻な場面なのに、ちょっと笑いが込み上げてきて

こんな状況なのに笑えたりするんだな、と思いました。



舌下錠まではいかなくとも、溶けるであろう、という予想に反して

全く溶ける気配なし。

何度も説明用紙を読み返しました。

30分後、ほぼほぼ同じ形状の薬を内服しました。



腹痛と出血と悲しみが襲う

だんだん、だんだんお腹が痛くなってきて

生理痛を超え、軽い陣痛のような痛みに。



イブプロフェンではどうにもならず

オピオイドとアセトアミノフェンの合剤を内服しました。


痛みが和らいで、意識がぼーっとしてきて



2時間半ほどして、出血が始まりました。



ベッドに横たわって、泣きながら数時間を過ごしました。

けっこう内容物が出て、産褥期のようでした。


私の準備が悪く、赤ちゃんを見ることはできませんでしたが

トイレで何度もお別れしました。



フォローアップの超音波は問題なし

翌週、産婦人科に行き、超音波で子宮内容物がちゃんと出ていることを確認。

手術をする必要はないし

出血も少なくなっているし

体は回復していっているようでした。

でも心の方がまだまだ。

次の生理はいつくるのか?また赤ちゃんが産めるのかどうか?

すごく気にしていました。



そしてまた服用することに

その後に異所性妊娠で手術をし、また妊娠しました。

早い時期からhCGの採血をして、上がり方は順調でしたが

胎嚢の中は空っぽのまま


待っても卵黄嚢は確認できず

また稽留流産と診断されました。



2回目なので、薬物療法の流れになりました。

最後に超音波で確認したときに、主治医が

「もう崩れてきてる」と言って、画像を見せてくれませんでした。



もう崩れてきているなら、自然に出てくるのかも

待とうかな



と思ったものの

言い出せず、またサインをし、薬を渡され

この厳重に管理されている薬を飲まない、ということが

すごく悪いことのように思えて

待ちたい気持ちがあったのに、内服しました。




内容物が少なかった2回目

1回目に比べ、出てくるものがとても少なく、それがとても悲しかったです。

今度は赤ちゃんのもと、となるものも出てこないのです。

胎嚢だけ出てくるんだ、と思った私は

1回目よりもお別れする気持ちが薄れていました。



妊娠ってなんなんだろう。

hCGってなんなんだろう。


早くに赤ちゃんの成長が止まってしまったので、そう思わざるを得ませんでした。



方法はなんであれ、心の傷は深い

手術はしなくてよかったので、体に傷がつくことはありませんでしたが

心の傷は深く、この後数ヶ月、いや一年経っても

よく泣いていました。

2年経ってようやく、涙を流さずにこういう文章を書けるようになってきました。



日本でようやく承認されて

日本でも内服薬が承認されるように、私もセーフアボーションの活動に署名しました。

時間はかかりましたが、やっと承認されてよかったと思っています。



このお薬は、きっちりと医療機関にかかって、バックアップがある状態で

飲むことが欠かせません。


胎嚢が子宮内にあることを確認したのち、何かあったら医療機関にかかれる状態で

またフォローアップにも必ず行ってください。



この記事が今後内服することになった、誰かの役に立つことを願って。