乳がん患者を支える「第二の患者」として
対談イベント「乳がん患者家族のリアルトーク」の翌日
ゲストスピーカーの一人であった、森部高史さん(通称:べぇさん)がFacabookに投稿された文章を紹介します。
昨日は乳がんの早期発見のために検診を啓蒙するピンクリボン月間の活動のひとつとして、アメリカで乳腺放射線科医として活動されるSatoko先生からのお声掛けで、妻が乳がんを経験した夫として少しお話させて頂きました。
乳がんって女性だけの問題ではなく、一緒にいる男性の生活も一変します。それはもちろん仕事も、プライベートも、そして子育てや将来の計画も。
いま当たり前にあることは簡単に崩れおちていきます。
同じように奥様が乳がんを患った方々とご一緒しながら、三者三様の体験談。
そこは同じような辛い時間があると同時に、三人とも全く違うなかでそれぞれの苦悩がある時間の積み重ね。
過去の話をしていても、他の方のお話を聞いていても当時のことを思い出したり、あの時あぁしていたらという悔いなども思い返され、心が揺さぶられる時間でした。
僕は無知でした。いまもわかっていることなんてほとんどありません。
それでも術後から5年という時間が過ぎ、いまもこうして一緒に笑うことができています。
でもあの時の必死さを忘れていたり、いま一緒にいられることが当たり前のことのように感じてしまっている部分も増えてきました。
当日お話をされた方のおひとりは、この前日に奥様を長い闘病の末、亡くされています。
だからこそ、今だからこそ伝えたいことがある、と気丈にお話をしてくださいました。
うちの場合は
・「たまたま」本人が違和感があって婦人科に行って
・「たまたま」その先生が念の為と検査にまわしてくれて
・「たまたま」その病院も細胞診の提案をしてくれて
・「たまたま」早くみつかって
・「たまたま」良い先生に出会えて
・「たまたま」薬が効くタイプのもので
・「たまたま」早くに治療を開始できて
・「たまたま」本人にも体力があって
・「たまたま」支えてくれる人たちがいて
・「たまたま」子供が既にいたから治療だけに向き合えた
そして「たまたま」自分も普段から料理、洗濯、家事、のことなどは一通りできるし、「たまたま」仕事も自由を効かせられることができた。「たまたま」実家も30分程のところにあった。「たまたま」優しい友人に囲まれて協力を申し出てくれる人たちがいた。
そういった多くのたまたま、があったから今も一緒にいることができているだけ、なんですね。
予後も良くなってきた時に「1ヶ月来るのが遅れていたら正直どうなっていたかはわからなかった」と先生に言われた時はゾッとしましたし
「この薬は数年前に使えるようになる前は、奥様の乳がんのタイプは進行が早いので残りの時間を大切にしてください、としか言うしかなかった。でもこの薬ができて、この段階なら治ると言えるくらい180度変わったんです」
と言われた時には色々な方の尽力によりいまがあるということを知りました。
当時、娘はまだ1歳で授乳中だったからこその大変さはありました。
個人で仕事をしているから、自由にできる部分もあったけど、それまでの仕事でたてていた収入は0になりました。
しかもそれがいつまで続くのかなんてわかりません。
辛くて、怖い時間でした。
心無い言葉を残して去っていった人たちもいます。
それが大変だったから同情してほしいとかではなく、それも仕方のないことだよね、といまは思っています。
それぞれの環境での大変さは人によって違うけど、確実に全てがかわります。
家族は第二の患者です。
患者本人は大変なのはもちろんですが、患者と同じように生活・仕事のすべてが変わるなかで、それでも仕事をしていかないといけない。看病もある。
なまじ自分は元気だからこそ、患者自身よりも実は大変な時間がある、ということも言われます。それに対するサポートは日本ではまだまだありません。
子供が大きかったら大きかったで受験や学校での関係、思春期の悩みなどで考えることはでてくるし
まだ子供を授かっていなかったら、今後子供を希望するか、どうするか、という妊孕性(にんようせい:妊娠するための力)の問題にも直面します。
しかもそれは、命と向き合う中ですぐに決断をしていかなければいけない。
すべてに準備ができるわけではないけれど、男性が知っていることなんてほぼない中でたくさんの大きな決断をしていかなければいけません。
こうしたなかで、パートナーである夫にも自分が闘病していることを伝えられていない、という方のお話を伺ったこともあります。
男性からしてみたら「話してよ」と思うかも知れないけれど、やっぱり話せないですよ。話せるような状況を普段からつくっていないとそのときに、なんて無理。
かといって察することもできないから、普段からこうした投稿を見ることをきっかけに、ちょっと話をしてみて欲しいと心から思います。
先日、娘の幼稚園の同級生のお母さんが亡くなったと言う話を聞きました。
乳がんだったそうです。
半年前は普通にしていました。病気だったという話も聞いていません。子供の学芸会をとても嬉しそうに見ている姿がありました。
その話を聞いて、美香は悔しくて一人のときに涙を流し続けています。
当たり前なんて、本当に一瞬で崩れてしまう。
僕が個人の仕事のつくりかたや方法の話を同業者に伝えているのもこうしたことが原点にもなっています。
時間も必要だし、何よりお金が必要になります。
個人でやっているなら労働集約の働き方をしかしてないのなら、相当な蓄えがないと本当に詰みますから。
なにせ仕事ができないから収入がない、家賃も払えなくなります。だから個人でやっているならきちんと売上にする方法や労働集約以外の形を少しずつ作っていけるようになる必要があるんです。
全てに準備ができる、何が起きても大丈夫になる、ということはないけれど、知るきっかけがあったなら、ぜひ知ってほしい。
パートナーがいる方は、ぜひ話をして欲しい。
いまパートナーがいない方も、できたときには話をして欲しい。
娘さんがいる方はその本人がなってしまう時があるかもしれない。
息子さんがいる方は、その彼女や奥様がそうなってしまう時があるかも知れない。
だからこそ、こうしたことが当たり前に話せるようになって欲しいし、検診にもいってほしい。
誰にでも起こりうること。
いつだって起こりうること。
だから、お願いです。
僕もこうした話が誰かのきっかけになるのであれば、色々な所でもっとしていかないといけないな、と思いました。
こうした話が必要な場所、そうした活動をされている所で僕がパートナーとして直面したことが必要となるのであれば、ぜひお声掛け下さい。
男性のみなさま、自分からパートナーに話しをしてね。いまから出来ることをしっかりと考えておいてね。
女性のみなさま、パートナーに話をしてね。
そして、なにはなくともまずは標準医療。これが大原則です。
しっかりと病院にいって、治療方針を固めましょう。
標準医療といわれると「平均的」「もっと良いものがあるのではないか?」と思ってしまう方もいますがそうではありません。
標準医療は現時点での現代医学のチャンピオンです。
多くの専門家がたくさんの時間とお金を費やし、多くの患者さんのデーターを元につくられた現在の治療における金字塔です。
もちろん、それであっても色々な要因が重なりうまく行かない時はあります。100%ではありません。でもそれは何だってそうですよね。
標準医療ではなく、推奨医療とか最適医療という言い方にしたらいいのに、といつも思っています。
みんな、元気でいてね。
森部 高史
対談で、前日に奥さんを亡くされたパパリボンさんのお話を聞いている最中、みんな涙ぐんでいました。
べぇさんも元気がないように見えて
当時の辛い気持ちをフラッシュバックさせちゃったかな
と気にかけていましたが
翌日にこれだけまとまった文章が書けるとは...
正直すぐに振り返れなかった私は、「べぇさん、さすがだな」と感銘を受けました。
乳がんに罹患した後、夫婦関係が上手くいかなくなる方も大勢います。
でもせっかく一緒になったんなら、この二人のように
支え合って、一緒に乗り越えていけたら素敵だな、と思います。
べぇさんは、私がずっと取り上げたいテーマ
「標準治療を選ぶことの重要性」についても、いつもお話してくださいます。
また対談を企画しますので、その際は是非耳を傾けてくださいね!
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