対談イベント「乳がん患者家族のリアルトーク」を終えて
開催からこの活動報告を書くまで、しばらく経ってしまいました。
なんだか胸がいっぱいになってしまい、振り返ろうと思うまでに時間がかかってしまったせいです。
この対談イベントを共に企画した、パパリボンさんの奥さんがイベント前日に乳がんでお亡くなりになりました。
当然イベントの中止も考えましたが、「今だからこそ伝えたい想いもある」とのことで、開催することになりました。
当日、私は滞在していたシンガポールのホテルからで
日本は夜21時半からという遅い時間からの開催でした。
正直、どういった表情で始めればいいのか、少し戸惑っていました。
私の他のイベントやセミナーに参加された方であれば、明らかにしょんぼりしているのが伝わったでしょう。
会の中でお話ししてもらったお三方のそれぞれの経験談について振り返っていきます。
乳がんと診断された時の奥さんの年齢、ステージ、サブタイプ
39歳、ステージⅡ、ルミナルB(HER2陽性)
30歳、ステージⅡ、ルミナルB
42歳、ステージⅢ、トリプルネガティブ
お仕事の状況と変化
個人事業主から会社設立したばかり
対面の仕事であったため、全てストップ。
貯金を切り崩す生活であったが、どうにかしなければいけないとその分たくさん勉強した時期でもあった。
健康業界であったため、「運が落ちる」と離れていく人もいた。
会社を設立したばかり
取引先から気を使われたり、「仕事をしている場合じゃないよね」と断られることが多く、仕事がなくなり困った。
離れていく人もいたが、同じ立場になり、戻ってくる人もいた。
会社員
経済的な心配はそこまでなかったが、仕事は休みづらかった。
会社員の配偶者が病気になった場合、会社もどうサポートしていいかわからないようだった。
組織に属しているため、自分の立場や周りの目が気になった。
お子さんの状況
まだいなかった。
妊孕性温存し、5年間のホルモン療法を終え、授かった。
1歳半でまだ授乳中だった。
母親を見ると、母親に甘えるため、いつも外に連れ出していた。
中3と小5で、手がかかる時期は終えていた。
など、三者三様の貴重な経験をシェアしていただきました。
また、旦那さんとしては乳がんと宣告され、パニックになっている奥さんを論理的にリードをする役割を担う必要があり
そのためにも共に勉強することの大事さについても触れていただきました。
加えて、よく話題にのぼったのが
ジャパン VS アメリカです。
患者家族を支える、日本とアメリカの体制の違いや周囲のサポート体制の違いについても話しました。
その後、パパリボンさんはお亡くなりになった奥さんの隣で、たくさん貴重なお話をしてくださいました。
一部抜粋させていただきます。
結婚生活が長いと、LINEをしたり、一緒に写真を撮ったり、素直に感情を表現することが少なくなるけれど
こうなった今、もう少しそういうことを大事にしておけばよかった、と思う。
最期1ヶ月は急展開だった。
今後は子供のサポートはもちろんのこと
当事者だけでなく、支える男性や子供も声をあげ、社会の体制をより良くしていきたい。
乳がん関係なく、なるべく多くの人に見ていただきたい内容です!
ワークライフバランスや家族
いずれみんなに訪れる死について
今、側にいてくれるパートナーや子供を大事にしよう、なるべく後悔のないように生きよう
と思わせてくれた、私にとっても大変感慨深い深い会となりました。
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